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か行 心に響く名言-偉人の略歴と代表作品


 

学問を始めるのはいつからでもかまわない。20歳でも60歳でも70歳でも年齢は関係ない。
才能があるかないか、そんな事を気にする必要もまったくない。人には得手があり、不得手がある。だからそんな事も関係ない。

山の頂きをきわめるのには、どこから登ってもかまわない。決められた登山口があるというわけでもない。
自分の得意な所から登ればよい。ただひつ必要なのは、たえまなくやることである。それさえあれば、

いつかは山の頂きをきわめることができる。



[本居宣長]

享保15年5月7日(1730.6.21)〜享和元年9月29日(1801.11.5)
18世紀最大の日本古典研究家。
伊勢国松坂(三重県松阪市)の人。
木綿商の家に生まれるが、医者となる。
医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、

35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。
主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。
鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。

 

「うひ山ぶみ」という本。の冒頭の文から。(うひ)は始めて(山ぶみ)は山に登る事

 

可能性の限界を知る唯一の方法は、 限界を越えて不可能に挑むことだ。

 

[アーサー・C・クラーク(Arthur Charles Clarke, 1917年12月16日 - )]

アーサー・C・クラークは現代を代表するSF作家の1人。

60から70年代にはロバート・A・ハインライン、アイザック・アジモフと並んでビッグ・スリーと称されるSF界の大御所として活躍。
他2者が、エンタテイメント、SF叙事詩を志向したのに対して、
クラークは豊富な科学的知識に裏打ちされた想像力を駆使したハードSF作品群に特色がある。

現在はスリランカに住む。『スリランカから世界を眺めて』という、スリランカでの暮らしぶりに触れたエッセイ集もある。
ダイビングなどを趣味にしている。現在も小説は執筆中。

 

賢ければ、ぼけよ。

 

[孔子]

(紀元前551ころ〜前479ころ)中国,春秋時代の思想家。儒教を始めた人として,のち日本にも大きな影響をあたえた。
生まれた国の魯(山東省)で政治をとって失望し,自分の政治理想を実現しようと,弟子とともに14年間諸国をめぐった。

結局は故国にもどり,教育や古典の整理に専念した。かれは,社会には礼とよぶ秩序が必要であり,
それには人を思いやる仁とよぶ心が大事だと説いている。

(『孔子家語』より)

 

来るものは最大限に利用し、去るものは最小限に関わる。

[サラ・ティーズテイル]

作家

 

恐怖の眼で未来を眺めるのは、危険きわまりない。

[E・ヘンリー・ハリマン]

 

苦しい時でも、とにかく笑っていろ。笑える余裕、ゆとりがないと判断を間違える。

[藤森正路(実業家)]

 

決心する前に、完全に見通しをつけようとする者は、決心することはできない。

[アンリ・フレドリック・アミエル(Henri Frederic Amiel 、1821年9月27日-1881年5月11日)]

スイスの哲学者、詩人、批評家。30年にわたって書かれて死後出版された「アミエルの日記」が有名である。

1821年に、ジュネーブに生まれた。ナントの勅令の廃止によってスイスに亡命したユグノー教徒の家系である。

若くして両親を失った後、叔父に育てられる。ベルリンでドイツ哲学を学んだ。1849年ジュネーブの大学で美学の教授になり、
1854年に哲学の教授になった。 1840年から約30年に渡ってかかれた自省的な日記は死後出版された。
日本でも戦前から翻訳されて岩波文庫などで長く読まれている。

 

結局はトライしない人が失敗する。

[デビッド・ヴィスコット]

 

剣は折れた。だが私は折れた剣の端を握ってあくまで戦うつもりだ。

[シャルル・アンドレ・ジョセフ・マリー・ド・ゴール(Charles Andre Joseph Marie De Gaulle, 1890年11月22日 - 1970年11月9日)]

フランスの軍人、政治家である。軍人の家に生まれたド・ゴールは軍人となり、第一次世界大戦中は将校として活躍した。
戦後は、軍隊の近代化を主張したが上層部に無視された。

1940年6月のナチス・ドイツによる侵攻後は、イギリスに逃れ「自由フランス政府」を組織した。

戦後1958年大統領に就任し、米ソから距離を置く独自外交を進め、核兵器開発・中華人民共和国との国交樹立、NATO脱退などを行った。

1969年、ド・ゴールの専制主義的支配に反発する学生デモ「5月革命」により大統領職を辞職、1970年に亡くなった。

尚、1974年、パリの新空港の名前を「シャルル・ド・ゴール空港」として、名誉を称えた。


ジャッカルの日 The Day Of The Jackal ド・ゴール暗殺計画を描いたフレデリック・フォーサイスの小説。

 

幸運は偉大な教師である。不運はそれ以上に偉大な教師である

[ハズリット]

Hazlitt.William
1778.04.10−1830.09.18
【随想家:イギリス】
 
画家を目指したが果たせず、
ジャーナリズムの世界で活躍し、
主に文学評論にすぐれた著
作が多い。
1817 「シェークスピア劇性格論」
1819 「イギリス詩人論」
1821 「エリザベス朝演劇論」
1822 「卓上談話」

 

幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。

[アンドレ・ジッド(Andre Gide,1869年11月22日 - 1951年2月19日)]

フランスの小説家。アンドレ・ジイド、アンドレ・ジードとも言われる。1869年パリ生まれ。
ソルボンヌ大学中退。オックスフォード大学名誉博士。父親は、ソルボンヌ大学法学部教授を任じた。
小説などの著作により、既成キリスト教的道徳・倫理からの解放を訴えた。欧州の広範囲に渡って文学的影響を与えた。

その著作は死後、ローマ教皇庁により、禁書に認定された。政治的には当初は共産主義的であり、
反ナチ・反ファシズムで知られる。戦前は、反戦・反ファシスム世界青年会議名誉議長を務めた。
1936年にソ連を訪問してからは反共に転じ、『ソヴィエト紀行』でスターリン体制を痛烈に批判した。

小説には、生涯の妻であった従姉・マドレーヌの影響が強く、『背徳者』、『狭き門』などに彼女の影を持った女性キャラクターが登場している。
しかしながら、私生活ではマドレーヌのことを愛していながらも20年以上も性交渉を行わずにいたり、
彼自身の性癖である同性愛により結婚生活は破綻をきたしていたと言われている。

この同性愛相手マルク・アレグレとの関係はジッドの『日記』に詳しく書かれている。
また、同性愛だけでなく彼にはエリザベート・ヴァン・リセルベルグという愛人も存在しており、リセルベルグとの間に娘を成している。

1938年、最愛の妻マドレーヌが亡くなると深い孤独感に陥り、『今や彼女は汝の中にあり』を書く。

1945年にゲーテ勲章授与。1947年にノーベル文学賞受賞。

1951年パリで没。

背徳者
狭き門
法王庁の抜け穴
田園交響楽
一粒の麦もし死なずば
贋金つくり

 

幸福の秘訣は、自分がやりたいことをするのではなく、自分がやるべきことを好きになることだ。

[ジェームズ・バリー]

1937年 劇作家・小説家( 1860年)

ピーター・パン原作者

 

行動だよ。何もしないで、ある日突然潜在能力はあらわれはしない。

[勝沼精蔵(解剖学者)1886年8月28日 - 1963年11月9日]

兵庫県生まれの医学者。(名古屋帝国大学医学部教授・名古屋大学長・医学博士)

1954年に文化勲章を受章。

医学者の生活をめぐる回想 名誉教授三浦謹之助の生涯

 

子供に愚かだと信じさせると、一層愚かな行いをする。

[ジョン・ホルト(歌手)]

ロック・グループ"ブロンディ"のカヴァーで世界的大ヒットとなった「夢見るNo.1」。
そのオリジナルを歌っていたロック・ステディ・グループ"パラゴンズ"の解散後、メイン・ヴォーカルだったジョン・ホルトは

独特のスムースな声を生かしてソロに転向。その後、ルーツ/レゲエ/ラヴァーズと広いジャンルにわたって、
第一線で活躍し続ける人気シンガーとなった。
「ラブ・アイ・キャン・フィール」「マン・ネクスト・ドア」といった、現在にいたるまで何度もカヴァーされたヒット曲を放つ一方で、

そのソウルフルな声質やアメリカンR&Bに影響されたスタイルによって生み出された、
「イフ・アイ・ワー・ア・カーペンター」などのカヴァー曲にも定評がある。

 

困難あり、便法あり、希望あり。


[毛 沢東(もう たくとう、Mao Zedong マオ・ツォートン。[1893年12月26日(光緒19年11月19日- 1976年9月9日)]

中国の政治家・思想家。中国共産党の創立メンバーで中華人民共和国建国の父であり、死に至るまで最高実力者の地位を保った。

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