名言.心に響く言葉 - 名言・心に響く言葉(ピックアップ) - 名言・心に響く言葉(人物別) - 気になる人物

さ行 心に響く名言-偉人の略歴と代表作品


 

細部を気にしていると、人生は少しづつ浪費されてゆく。

[Henry David Thoreauソロー1817〜1862]

アメリカの思想家。

哲学者エマーソンや東洋思想(孔子、老子)から影響を受け、自然に即した生活を送った。

代表作『ウォールデン 森の生活』

 

自分は誰でも自分が思っているより優れている

[エマソン(Ralph Waldo Emerson, 1803-82)]

 
 エマソンは「より善き牧師」となるため、形式的なピューリタン精神を脱ぎ捨て、新しいアメリカの精神を創った。
 「コンコードの哲人」といわれるが(コンコードは地名;マサチューセッツ州)、彼はまとまった哲学体系をのこさず、合理的理論を説かなかったため、思想家(超絶主義)、または文学者として分類される。若い頃はピューリタン的に、自己の罪を深く見つめた日記も書いていたが、後に教条的な教説を守ることよりも自己の内にある道徳(=神)を信頼し、(悪を見ない)光明思想を説いた。また自身は本来の詩人として生きた。
 プラトン、ベーコン、カント、スウェーデンボルグ、東洋哲学などから影響を受け、また同時代のヨーロッパの思想家、カーライル、スチュアート・ミルなどとも親交があった。
 ちなみに詩人宮沢賢治もエマソンを中学生の時に読み共感しており、賢治の考える詩人像とエマソンのそれとは共通している。

 

師の跡を求めず、師の求めたるところを求めよ

[孔子]

孔子(こうし、紀元前551年‐紀元前479年)は春秋時代の中国の思想家で、儒教の創始者。氏は孔、名は丘、字は仲尼(ちゅうじ)、
雅号は尼父(じほ)。孔子とは尊称(子は先生という意味)。文宣王(ぶんせんのう、大成至聖文宣王)と追諡されている。
ヨーロッパではラテン語化された"Confucius"(孔夫子の音訳)の名で知られている。夫子は君子への尊称である。

 

進歩とは反省のきびしさに正比例する。

[本田宗一郎]

「世界のHONDA」本田技研工業鰍フ創始者。天竜市名誉市民。明治39年(1906)現・磐田郡光明村(天竜市山東)で鍛冶屋の長男として生まれる。
 大正8年、山東尋常小学校を卒業し、二俣尋常高等小学校に入学。少年時代は大変いたずら好きな子どもあった反面、工作、算数、理科などの学科が得意の珍し物好きな少年だったという。
 大正11年、尋常高等学校を卒業し、東京の「アート商会」へ入社。昭和3年に独立し、浜松市に「アート商会浜松支店」を開業する。
 昭和21年、「本田技術研究所」を設立し、同23年「本田技研工業梶vを設立。内燃機関の研究を続け、その特許を利用して、オートバイの生産を開始、四輪自動車への進出を図り、今日の「世界のHONDA」を創り上げた。昭和27年に藍綬褒章を受章。
 昭和48年、初の天竜市名誉市民になる。昭和56年、勲一等瑞宝章を受章。
 平成3年8月5日、84歳で逝去。
 勲一等旭日大綬章を受賞し、正三位に叙せられる。

 

真の満足は、いかなる状況からも、 その中のあらゆる価値を取り出せることにある

[ギルバート・キース・チェスタートン]

イギリス 作家

 

シンプルアクト  

[丸山統久]

Webサイトオーナー、アフィリエイター

シンプルに行動するという意味の造語。

 

人生は、人生の意味についての私たちの問いに答えてはくれない。
人生は、その問いをむしろ私たちに投げかけてきている。 何が意味に満ちているかという
問いに答えなくてはならないのは、 私たち人間のほうである。

[飯田史彦]

1962年、広島県生まれ。学習院大学大学院経営学研究家博士課程を経て、
1990年より国立福島大学経済学部経営学科の助教授として人事管理論を担当、現在に至る。

その間、筑波大学大学院経営システム科学、東北大学大学院経済学研究科、東北学院大学商学部などの講師を兼任。
1997年、LONDON CITY UNIVERSITY BUSINESS SCHOOL(大学院)客員研究員。日本広報学会理事、日本経営学会、組織学会、経営哲学学会、労務学会、経営学史学会会員。人間の価値観や「生きがい」を研究する経営心理学者。米国経営学博士。

著書に、ベストセラーになった『生きがいの創造』、『こだわりの人材採用戦略』、『共生と連携の地域構造』など。
120名を超える全国的な医師の研究会である「生きがいメディカル・ネットワーク」の顧問を勤め、

その著書や講演ビデオを医療ツールとして活用している病院も多い。

一人の研究家として、あらゆる思想、宗教団体からの中立を守っている。一番の楽しみは、愛する家族と過ごすこと。

飯田忠彦研究室へようこそ!

 

人生において、チャンスは貯金できない。

しかしながら、その瞬間チャンスをチャンスとわかる事は少ないのではないか?よって、思いもよらない事が

起こったら、あまり深く考えずに行動すべきではなかろうか

 

人生は恐れを知らぬ冒険か、無のどちらかである。

[ヘレン・ケラー  ヘレン・アダムス・ケラー(Helen Adams Keller, 1880年6月27日 - 1968年6月1日)]

米国アラバマ州北西部の町タスカンビア出身の教育家・社会福祉事業家である。
自らも障害を背負いながらも、世界各地を歴訪し、身体障害者の教育・福祉に尽くした。

 

人生の目的があれば、変化への恐怖を乗り越えられる

[リチャード・ブロディBrodie,Richard]


才能に恵まれ、とくにワープロソフトWordと『夢をかなえる一番よい方法』および“VIRUS OF THE MIND”(邦題『ミーム』、講談社)という3つのベストセラーを生み出したことで有名。

また、雄弁家であり、多数のテレビ、ラジオ番組に出演している。1981年にハーバード大学を中退してコンピュータ革命に参加し、
マイクロソフト社に入社する。Wordをはじめ、数多くのソフトの主要開発者。また、ビル・ゲイツ氏の個人的な技術アドバイザー、

さらにソフトウエア設計主任になるなど、活躍する。しかし、数年間の激務の後、人生をよりよく生きるために業界を去る。
現在シアトルに在住。著述業のかたわら、ソフトウエア&コンサルティング会社ブロディ・テクノロジー・グループを経営する。
時にはミュージカルも書く

 

人生楽しんだ方が勝ち

[阿寒人]

絵描き、コレクター

人生楽しんだ方が勝ちっ!

 

好きなことしかやらない 

[丸山統久]

やりたいことが見つからずもがいていた時に思い浮かんだ、言葉。
サイトのタイトルにもなっている。

 

全ての規則に従っていたら、楽しみを全部逃がしてしまう。 

[キャサリン・ヘップバーン(Katharine Hepburn,1907年5月12日 - 2003年6月29日)]

キャサリン・ヘプバーンはアメリカ合衆国出身の女優である。2005年現在、オスカーを4回受賞したただ一人の俳優。
ノミネート数は12回に上る。

裕福な医者の娘で、幼い頃から演じることに熱中していた。大学では心理学を学んでいたが演劇も続け、
卒業後に劇団に参加。舞台を経て1932年に映画デビューした。

決して正統派美人女優ではないが、飾らない性格と知的な雰囲気、確かな演技力で世界中から愛された。
「フィラデルフィア物語」などのジョージ・キューカーと組んだコメディも有名である。

9作品で共演したスペンサー・トレイシーとは名コンビで、
彼に家族がいたために二人は結婚しなかったが、パートナー同士だった。スペンサーの死を見取ったのもキャサリンだった。

2003年に老衰で死亡。

 


精神を思う存分働かせたいと願うなら、体の健康に留意することだ。

[ルネ・デカルト(Rene Descartes, 1596年3月31日 - 1650年2月11日)]

フランス生まれの哲学者・数学者・傭兵。

考える主体としての自己とその存在を同時に定式化した「我思う、ゆえに我あり」(Cogito ergo sum コギト・エルゴ・スム(ラテン語))は哲学史上でもっとも有名な命題の1つである。そしてこの命題は、当時の保守的思想であったスコラ学の教えである、真理の「信仰」による獲得ではなく、人間の持つ「理性」を用いて真理を探求していこうとする近代哲学の出発点を簡潔に表現している。デカルトが「近代哲学の父」と称されるゆえんである。

初めて出版した著作『方法序説』(1637年)は、冒頭が「良識はこの世で最も公平に配分されているものである。」という文から始まり、思想の領域における人権宣言にも比される。

また、当時学術的な論文はラテン語で書かれるのが通例であった中で、デカルトは『方法序説』を母国語であるフランス語で書いた。その後のフランス文学が「明晰かつ判明」を指標とするようになったのは、デカルトの影響が大きい、ともいわれる。

省察

 

世界を恐れるな。ただ自己を恐れよ。

[杉浦重蔵]

 

全身全霊をかけて得ようとしていないのなら、 それが本当にほしいのではない。

[ ジョン・ロジャー&ピーター・マクウィリアムズ]

あなたが与えたものが、あなたが受けとるもの

 

それをやりにおれが生まれてきた。そのことだけを考えればよい。

[アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway, 1899年7月21日 - 1961年7月2日)]

アメリカの小説家・詩人。『老人と海』などで知られる。
行動派の作家で、スペイン内戦や第二次世界大戦にも積極的にかかわり、

その経験を元に行動的な主人公をおいた小説をものにした。
 『誰がために鐘は鳴る』『武器よさらば』などはそうした経験の賜物。当時のハリウッドに映画化の素材を提供した。

 短編には簡潔文体の作品が多く、これらはダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラーと後に続く
ハードボイルド文学の原点とされている。

 1954年、『老人と海』でノーベル文学賞を受賞。
 晩年は躁鬱に悩まされるようになり、執筆活動もしだいに滞りがちになっていった。そして、

1961年、ライフルで自殺を遂げた。 女優のマリエル・ヘミングウェイは彼の孫娘である。

 

 

▲このページの先頭へ戻る